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奇跡のアイドル・指原莉乃物語・画像付 その4 [指原莉乃物語]


さて、好評なのか不評なのかよくわかりませんが、勝手に続けます(笑)
今回が4回目です。


4、へたれから、伝説のブログ「指原クオリティ」そして「さしこのくせに」でブレイクへ



「聞いたことないよ。アイドルなのに へたれ なんて呼ばれる奴は(笑)」

後藤プロデューサー


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お蔵入り寸前だったバンジージャンプの映像がきっかけで「ヘタレタレント」として

名前が売れ、あの失敗だけで ヘタレというイメージがどんどん広がって指原は

ダメ人間と思われていたが、 AKB劇場での指原は誰にも負けない

隠れた努力家であった。



当時、指原は選抜ではなかったが「RIVER」や「ポニーテールとシュシュ」などは

全ポジション対応できたし、直前の代役でもしっかり覚えてくるので

スタッフの信頼も厚かった。



「私だけじゃないんです。ただ立ち位置と振り付けは最初のリハーサルまでに

 絶対に覚えてきます。アンダーガールズだった1年間で鍛えられました。

 イベントなどでは選抜曲もやるから、 DVDで覚えるんです。

 でも左右反転で覚えにくいから、私は紙に絵を描くんです。

 棒人間を書いて覚える。キモイでしょ(笑)」



他人に迷惑はかけたくない。そういう思いが根底にある。彼女はそういう人間だ。


「先輩は踊れるのに、自分のせいで時間が止まってしまう。私はそれだけはした

 くないから立ち位置と振りは何があっても間に合わせる。

 これだけはちゃんとやってきたと言う自信があります」

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もう一つ指原がこだわっていることがある。

それはファンとの握手会だ。

「 まず、休みたくないです。私と1回握手をしてくれるために

 会社の有給を使ってきてくれる方や、お金と時間をかけて遠方から来てくれる方

 もいます。自分がアイドル好きだったから、アイドルが好きな人の気持ちだけは

 わかっているつもりです。だから、自分にファンがいるのは当たり前なんて

 絶対に思いません。私が誰かのファンだった時に、そう思ってほしくないって

 思っていたから・・・・」



2010年4月30日 アメーバブログにて「指原クオリティー」がスタートする。

初回はメンマを食べ過ぎて箸がメンマくさい話。

2回目は消えて気づいたネギへの恋心。

翌日は不遇なバナナにエールを送った話。

「あまりにくだらない(笑)」



ところがその二日間で1万件を超えるコメントを寄せられた。



「もうびっくりです!! ありがたやって感じでした。予想外に嬉しかったです」


そしてその日、指原のケータイに1通のメールが届く。


「それがなんと、秋元先生からだったんです。メールなんて初めてだったから、

 超怖かった!! 恐る恐る開いたら "ブログおもしろい" とただそれだけ。

 真面目に頑張ろうと思いました。アイドルとして」


一方、秋元康氏は周りのスタッフに「あいつはこっち(制作)側の人間だな。

 アイドルやめて放送作家になったほうがいい」と本気で言っていたという。



・・・さすが秋元康、この時すでに指原莉乃のプロデュース能力を見抜いていました。

今でこそHKT48の劇場支配人を兼任している指原ですが、いずれはそういう道に

引っ張り上げようとしていたのではないかと考えられます・・・・


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指原莉乃はブログでの人気も手伝い、第2回総選挙では19位にジャンプアップし、

そして5作品ぶりの選抜復帰を果たします。

しかし、その作品「ヘビーローテーション」のミュージックビデオでは

わずか3.5秒しか映れずに、凹みまくりました。



「ファンの皆ががっかりしちゃうだろうなで思っていたら、俺視力いいから探す

 とか、見つけてやろう、とかもう一回探してみます。なんていうコメントが多くて

 嬉しかったです。複雑な気もしたけど」



その後第一回じゃんけん大会では、大先輩の大島優子に勝利して動転し、

その場で土下座したというヘタレぶりを発揮しました。

さらに12月には番組のインタビューでブログの順位について聞かれて

うっかり「 1位になれるのならなりたい」と言ってしまい、ブログの

一日100回更新の企画が決まってしまいました。



「計算したら7分で書いて、 7分休んでのスピードなんです。一睡もしないで

 でも断ったらまたヘタレってて言われると思って、正直ちょっと泣きました。

 だって昼も夜もごはん食べる暇なかったし・・・・」


だが指原のブログは初の1位を達成する。一日3,500万ページビューを記録し

アメーバブログ歴代トップに輝く。


「もう奇跡! じゃない努力! それは私がなくてみんな。ファンの皆の努力。

 皆さんのコメントがなかったら絶対にギブアップしてたと思う。

 私の中ではあの企画は完全に読者の皆様と戦ったという感覚です」

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指原莉乃は地方組との1か月間が終わってからは、母と二人暮らしを続けていた。


「しかも最近まではワンルームで2人暮らしですから狭い狭い。

 お仕事から帰ってきてのびのびとという感じではなかったです。
 
 でも結構母が気を使ってくれて、私が帰るまでお風呂に入らない

 でいてくれたりしました。私が1人の時間を作ってくれるために。

 私が帰ってから母がお風呂に入れば、その間は私が部屋に1人で

 いられるじゃないですか。 AKBっていつも団体行動だから

 そこは気を遣ってくれたみたいです」


家での指原は仕事の話をほとんどしない。聞かれたくないのを知っていて

母も話題に出さない。尋ねたいこともあるだろうけれど、

母子2人のワンルーム暮らしで息が詰まるような思いはさせたくなかった。

・・・・そんな母が入院した。




「深刻なやつじゃないです。むしろ嬉しい入院。お母さん10年くらい

 ずっとある病気を患っていたんです。普段はなんともないですけど。

 治らないって言われていたのが、東京の病院でなら治せることが

 わかって、 3週間ほど検査入院したんです。

 私はワンルームマンションの広さにびっくりしました。

 超快適でした。料理はしなくてもカップラーメンで満足だし、

 週末はお母さんが戻ってきて洗濯をしてくれました。

 いると甘えちゃうのがダメなんでしょうね。

 いなくてもだいじょぶだったから、母とケンカすることもないしで

 一人暮らし万歳って感じでした」



その後、母の治療も進み、病気は完治した。

一方で指原はうなぎ登りに人気を上げていく。

2011年1月はAKB48グループ初の個人での冠番組「さしこのくせに」

がスタートする。さらに6月の第3回総選挙では前年から9人をごぼう抜きして

第9位となる。とうとうトップテンに躍り出た。


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「今回この9位という順位で、まさかメディア選抜に入れると思ってなかったので

 本当に本当にうれしいです。指原は自分に自信がなくて、ダンスも下手だし、

 歌も下手だし、かわいくないし、誇れるものは今までなにもなくて。

 でも、4万5000票も投票してくれた皆さんが本当に誇りです。去年は3.5秒しか

 PVに映れなかったので、今年は1秒でも長く映りたいと思います」






この頃から「さしこのくせに」を始めとする数々のバラエティー番組で

彼女は抜群のトーク力を発揮する。独り立ちする日は来るのだろうか。


「 AKBを踏み台に、なんて私にはとても言えません。

 そんな事考えられない。 AKBとして活動してることが今凄く嬉しいし

 AKBとして大きくなりたいと思ってる自分もいる。 前列になりたいって。

 多分、自分からは一生やめないと思う。今話をしていてこんなにAKBが

 好きなんだって自分でもびっくりしています」
 2011年コメント



無我夢中で走り続けてきた3年半。気がつくと大分から出てきた田舎娘は

今や最も有名なアイドルグループを代表する1人にまで成長していた。




2011年6月21日夜。指原莉乃は渋谷に立っていた。

昼間ロケ出来た時は嘘のようなその光景に実感が湧かなかった。

だからもう一度この目で確かめたくて、電車で1人やってきたのだ。


ゆっくりと顔を上げるとそそりたつ渋谷109ビル。

その中央に自分の姿が巨大ポスターとなって張られていた。


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「夢じゃなかったんだ・・・・・」




幼少時代からあこがれていた東京。

漫画で知って以来、渋谷の109は指原にとって東京そのものだった。

そんな自分がまさか広告のモデルとなりここに貼られる日が来るなんて。




「遠くに来たなぁ・・・・・」



それは大分と東京との距離は800kmの事ではなかった。

人付き合いが苦手で不登校になり、新しい風を求めていた数年前。

後先も考えずカバンにジャージと夢だけを詰め込んで

セーラー服で上京して来た。


「私はダメな人間。優等生じゃない」



それを知っているからこそ与えられた場所で必死にもがいてきた。




「指原にはそれしかできないんで・・・・。

 欠点だらけの人間だけど それでも今できることだけを頑張って

 汗をかく事なら私にだって出来るから」


スクランブル交差点の信号が変わり人々の群れがより糸のように

クロスして行く。ヘタレと呼ばれ愛されるひ弱で華奢な少女が

眩しく見えた。


「期待してくれる人がいて立たせてもらえる場所がある。

 幸せ者だなって思います。こんな自分でも誰かの役に立てる

 時だってある。だったらもっと頑張らなくちゃですよね」



もう一度ビルを見上げると携帯を出して写真を撮った。

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「こんな奇跡、もう二度とないので(笑)」


はにかんだ笑顔で彼女は言った。

少女の上京物語はまだ始まったばかりだった。




奇跡のアイドル・指原莉乃の波乱万丈の物語も

まだ始まったばかりだった・・・・


つづく。。。。


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