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奇跡のアイドル・指原莉乃物語・画像付 その3 [指原莉乃物語]

3、幻のチーム4から、アンコールなし事件、 歓迎されなかった昇格、           そしてヘタレと呼ばれる


「奇跡だったと思う。それほど気の合う人間が揃った。

   あの期間がなかったらきっと私、やめていたと思います。」




指原莉乃がのちにそう語ったあの地方組との共同生活は、彼女にとっては

唯一の心安らぐ場所だった・・・・



指原は当時、チームAはともちん。Kは梅ちゃん。Bははーちゃんのアンダーとして

公演に参加できるぐらいの技量はあった。


「結局、チームB公演にはアンダーとしていちども出られずにおわりました。

 毎日練習したのに、すごく残念でした。

 でも、それ以上に嬉しい発表があったんです。 AKB初の試みとして

 研究生だけで公演をさせようってなったんです。

 当時はまだ子供だったから飛び上がって喜びました。

 純粋な気持ちで頑張ろうって思いました。でも、レッスンは厳しかったです。

 スパルタです。「 only today」という曲で全員で肩を組みながら、体を前後に傾けて走る

 と言う振り付けがあるんですが、それが揃っていないと言われて、

  100回以上繰り返し練習させられました。

 みんな頑張ったと思う。鏡が息で真っ白だったもん。

 初日を終えたときにはみんなで抱き合って泣きました」

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夢に向かってがむしゃらに汗をかく姿は、観客の心を瞬く間につかみ

研究生目当てのファンが急増しました。


「このチームあっての私。だって思ってました。

 今振り返っても、私にとって最高のメンバーでした。みんなで言ってました

 うちらだけでチーム4になりたいね。って。

 今では本物がありますが、当時、 チーム4は勝手に結成されていたんです」



だが、マネージャーからは全く認めてもらえなかった。



「毎回、全然できていない! この程度か! と叱られました。

 1番悔しかったのは、初期メンバーと比べられること。

 あいつらは何もないところから頑張った。ファンも付かずに苦労した。

 それに比べたらお前たちの苦労じゃないって・・・

 私たちだってわかってるんです。めちゃくちゃ尊敬の対象でしたし、

 でも私たちだって、すべてを劇場公演にかけて頑張ってる。

 だから本当に頭にきました」



なぜスタッフは研究生に厳しく当たったのか。

実は活を入れられていたのは研究生だけでもなかった。当時のAKB48は

結成して2年半。 10枚のシングルをリリースしたものの、ブレイクには結びつかなかった。

桜の花びらたち2008を最後にデフスターレコードとも契約が終了。

「ここまでなのか」声には出さないがだれもがそう思っていた。

だからこそ全員が一丸となって気持ちをリセットしないとAKB48は終わってしまう。

そういった危機感に包まれていた。




そんな中、AKB48劇場公演史上、唯一の汚点となるあの事件が起こった。。。。



「ある日の公演前にスタッフさんから告げられました。

 今日は3分以内に客席からアンコールがかからなかったら、アンコールはやりません。

 と。でも私たち劇場公演だけは自信があったんです。先輩たちは他の仕事もあったけど

 私たちは劇場公演に全力を傾けてきたので、だからきっと大丈夫そう思っていました」



13曲を歌い終えて楽屋でアンコールの声を待つメンバー。

もちろん観客は3分以内という話を知らない。 1分、 2分と時間が過ぎる。

不安げに顔を見合わせる研究生たち。







時計の針が3分を過ぎた直後だった。ようやくいつもの声がかかった。

次の瞬間、スタッフは楽屋のドアを開けてこういった。

「アンコールは中止します。最後の挨拶をするのでステージに出てください」






「それでアンコールの衣装を着たままステージに上がり、中西優香が出て

 私たちを代表して言いました。

   今日は私たちの未熟なパフォーマンスのせいで      最後まで出来ずに申し訳ありませんでした

 て謝ったんです。舞台裏に戻って ウッ・・・ウッ・・・と泣いていたら

 客席から 研究生は悪くないから! という声が聞こえてきました。

 それで余計にみんな号泣しました・・・」




同じ挫折を味わったことで、研究生たちの絆は更に固いものとなった。

実はこの数日前に指原のチームB昇格が発表されていた。




「取材などでは、入るならBかKがいい。と答えてきましたが、本心は

 みんなで昇格して新チームを作りたかった。でも私の前に北原がチームAに

 昇格して、今度は自分自身がチームBに決まりました。昇格出来た事は

 嬉しかったんですが、私にあやりん(菊地あやか)の代わりがつとまるなんて

 思えなかったし・・・・・」




8月。それまでチームBの三番手ポジションと言われてきた菊地が解雇され、

ほぼ同じタイミングで指原のチームB昇格が決まった。つまり、

菊地が抜けた穴を埋めるためだったのだが、そのことで指原莉乃の

最大の苦悩時代が始まった。。。。




「あやりんのポジションに立ちたかった先輩もいたわけですし、

 何か、私がポッと入ったみたいで申し訳ないというか。

 居場所がなく、辛かったです・・・・・」



歓迎してくれたメンバーもいたので、ギクシャクしたのは最初だけだった。

しかし、それ以上に指原を苦しめたのは、菊地が抜けた行き場のない悲しみを

代役にぶつけざるを得なかったファンの気持ちだった。

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「あやりんがセンターで歌っていた 鏡の中のジャンヌダルク という曲があって

 少女たちよ立ち上がれみたいな力強い曲なんです。それで私も拳をあげて

 歌ったんですが、ふと前を見るとお客さんが涙を流していたんです。

 悲しい曲じゃないのに、あやりんのこと思って泣いていたんだと思います。

 その気持ちは痛いほど分かります。でも私だって、徹夜で覚えてきたのに。

 そこに立つのはお前じゃない!! と言われてる気がして、鼻の奥がツンとしたけど

 唇を噛んで堪えました。その曲になり、私が歌い出すと席を立つ人もいたっけ・・

 握手会では お前のジャンヌは違う!! って言われて、すみませんしか言えなかった。

 私でごめんなさいって・・・・。

 ジャンヌの歌詞では無いけれど 鏡の中で生まれ変わりたい そう思いました」

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それでも歌い続けるしかなかった。ステージ上でジタバタと汗をかいて

やり続けるしかなかった。菊地が解雇されたのは指原のせいではない。

ファンだってそんなことはわかっていた。だが、どうしようもなかった。





・・・・・やがて菊地のファンが言ってくれた。

「あるファンの方が握手会の時に言ってくれたんです。  

 今まできついこと言ってごめんね。さっしーが頑張ってるのをわかったから

 応援するからって・・・・・。

 私、伝わったんだって思ったら嬉しくて泣いちゃいました」




昇格してから半年が経っていた。・・・・やっとチームBの一員になれた気がした。

シングルでは 大声ダイヤモンドに初選出されると、 10年桜、涙サプライズにも

連続選抜入り。指原莉乃は再びノッテきた。

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「・・・・・と思ったのですが、ここで再び地の底にドーーーーーーンと

 落とされる出来事がありました。第一回の総選挙です」


選抜の枠は当時21人。


「入れるとは思わなかったけど、入れなかったら、もうシングルには

 一生入れないだろうって北原や宮崎美穂と話していました。

 だってファンの方が直接決めるわけですから。当日は朝から

 悲しくて吐きそうでした」



結果、北原は13位、宮崎は18位で共に選抜入り。だが、指原は27位に終わった。

壇上で彼女は 本当に悔しいんですが1票でも入れてくれたファンの皆様に

お礼を言いたくて と涙声でコメント。最後には「ヲタ芸をもっと頑張ります」

と会場を笑わせて再起を誓った。



だが、舞台袖へ下がった瞬間、指原は足から崩れ落ちた。


「立ち上がれなくて、結局その場で2時間ぐらい泣いていたと思います。

 もう指原しか残っていないと言われて、最後に会場出ようとしたら

 北原がずっと待っていてくれた。それで また泣いちゃった・・・」


しかし本人の予言通りこれより1年間、次の総選挙まで選抜入りが叶う事はなかった。


そんな中、 7月には第二の冠番組「週刊AKB」が放送開始された。

選抜入りを望めぬ指原は、上位メンバーの活躍を自宅のテレビを見ながら

ずっと待っていた。夏が終わり秋を迎えた2009年9月中旬。

その番組に出演のチャンスが回ってきた。ロケ現場に着くと、

バンジージャンプに挑戦する企画であることがスタッフから告げられた。

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「絶対飛んでやろうと思いました」


ロケに参加したのは指原のほか、板野友美、河西智美、 仁藤萌乃の4人。

カメラに向かって威勢よく親指を突き立てた指原だったが、スタッフの

デモンストレーション見た時点で早くもボロボロと涙が・・・。



まず板野が飛んだ。次いで河西、仁藤が恐怖を克服し橋の上からジャンプした。

だが、指原は・・・・・


「だって42メートルですよ。本当に飛びたいと思ったんです。必ず4人全員で

 成功させようって約束したし・・・・。

 でも 20分粘ったんですけど、リタイアしてしまいました」


メンバーとの約束を破ってしまった指原は激しく落ち込んだ。

「それで次のスタジオ収録の時に、つい言ってしまったんです。

 リベンジしたいって」

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この一言が番組スタッフを翻弄することになろうとは・・・

週刊AKBの後藤プロデューサーは

「今度こそ飛んでもらわないと洒落にならないから、体操の専門家のもとで練習してもらって

 本番も20メートルくらいの低いジャンプ台にして。当日、指原に確認したら

 怖いけどだいじょぶです と言う。

 これなら恐怖に怯えながらも最後にバーンと飛んで、いい絵になりそうだなと

 思ったんですよ。そこで、仁藤がお手本で飛んでくれた。

 この流れで飛ばないわけないと。。。。

 なのにまさか やっぱり飛べません!! ってなるとは(苦笑」




お蔵入りも考えた、仮編集映像を見て後藤は驚いた。

「見ているこっちはちっとも暗くならない。こんなダメな奴見たことないって

 逆に盛り上がった。このまま放送しちゃえって。」



恐怖を克服し視聴者に勇気を与えるはずの企画が、笑いを与える結果となった。

指原のダメぶりを見た視聴者は、こぞってその姿を話題にし、

後に指原の代名詞ともなる3文字が誕生した。



「聞いたことないよ。アイドルなのに へたれ なんて呼ばれる奴は(笑)」

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人生、何が幸いするかわからない。

お蔵入り寸前だった映像がきっかけで「ヘタレタレント」として名前が売れて

視聴者に勇気や笑いや、感動を与える・・・なんとなく見守っていきたい

なんとなく応援したい、そんなアイドルとなるチャンスを得たのである。


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ただ、あの失敗だけで ヘタレというイメージがどんどん広がって

指原はダメ人間と思われていたが、 AKB劇場での指原は誰にも負けない

隠れた努力家であった。



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・・・次回は根性と努力でのし上がっていく指原莉乃を追いかけます。






















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タグ:指原莉乃
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